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松平直侯

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松平 直侯
松平直侯(八郎麿)像(徳川ミュージアム蔵)
時代 江戸時代末期(幕末
生誕 天保10年1月9日1839年2月22日
死没 文久元年12月10日1862年1月9日
改名 八郎麿(幼名)→昭融(初名)→直侯
戒名 建中院殿義恩黎懐大居士
墓所 埼玉県川越市小仙波町喜多院
官位 従四位下、大和守、侍従
幕府 江戸幕府
主君 徳川家定家茂
武蔵川越藩
氏族 水戸徳川家結城松平家
父母 父:徳川斉昭、母:直(山野辺義質の娘)
養父:松平典則
兄弟 徳川慶篤池田慶徳徳川慶喜直侯池田茂政武聰喜連川縄氏昭訓忠和土屋挙直徳川昭武喜徳頼之
正室:鍋島斉正の娘)
養子:直克恵姫(松平直克正室)
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松平 直侯(まつだいら なおよし)は、武蔵川越藩の第6代藩主。結城松平家10代。

生涯

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天保10年(1839年)1月9日、常陸水戸藩主・徳川斉昭の八男(庶子)として江戸小石川で生まれる。母は家老山野辺義質の娘で斉昭側室の直。江戸幕府第15代将軍徳川慶喜(斉昭七男)のすぐ下の弟にあたる。幼名は八郎麿、初名は父より偏諱を受け昭融を名乗る。川越藩第5代藩主・松平典則の養子となって直侯と改名、嘉永7年(1854年)8月13日の養父の隠居により家督を継ぎ、安政元年(1854年)12月16日に従四位下・大和守に叙位・任官する。

安政2年(1855年)1月に元服する。文久元年(1861年)12月6日に家督を養子の直克に譲って隠居し、直後の12月10日に死去した。享年23。

系譜

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