松永理生
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基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1981年10月9日(43歳) | |||
出身地 | 京都府京都市 | |||
ラテン文字 | Rio Matsunaga | |||
身長 | 190cm | |||
体重 | 83kg | |||
血液型 | O型 | |||
選手情報 | ||||
所属 | 東山高等学校 | |||
愛称 | リオ | |||
役職 | 監督 | |||
ポジション | OP | |||
指高 | 248cm | |||
利き手 | 右 | |||
スパイク | 345cm | |||
ブロック | 325cm |
松永理生(まつなが りお、1981年10月9日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。
来歴
[編集]京都府京都市出身。母親の影響で第三錦林小学4年よりバレーボールを始める。
中央大学在学中の2001年アジアジュニア選手権に出場、2003年ユニバシアード大会準優勝などを経験。
2004年にパナソニックパンサーズに入団。2007年6月29日付で退部。同年、豊田合成トレフェルサ(現・ウルフドッグス名古屋)に移籍。2010年、選手兼コーチに就任。2011年5月、黒鷲旗大会終了後に現役引退し、コーチ専任となった[1]。
2012年に、豊田合成からの外部派遣として、母校の中央大学男子監督に就任し、3月の合宿より合流[2][3]。2014年12月には、平成26年度天皇杯全日本バレーボール選手権大会で豊田合成と対戦した(ストレート負け)[4]。
2017年10月1日に自身のインスタで2017年度末をもって監督を退任することを発表した。2019年1月15日、中央大学監督・アドバイザーの任期を満了し、豊田合成運営会社「TG SPORTS」に帰任[5]。
2019年、TG SPORTSを退社し、母校の東山高校男子コーチに就任した[6]。
球歴
[編集]- 全日本代表 - 2005年
- 全日本代表としての主な国際大会出場歴
- ワールドリーグ - 2005年
- ワールドグランドチャンピオンズカップ - 2005年
所属チーム
[編集]- 東山高等学校
- 中央大学
- パナソニックパンサーズ (2004-2007年)
- 豊田合成トレフェルサ (2007年-2011年)
脚注
[編集]- ^ “松永選手引退のご挨拶”. 豊田合成トレフェルサ公式サイトトピックス (2011年4月28日). 2011年9月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月22日閲覧。
- ^ “スタッフ紹介”. 豊田合成トレフェルサ公式サイト. 2015年3月22日閲覧。
- ^ “新監督誕生”. 中央大学バレーボール部公式ブログ (2012年4月1日). 2015年3月22日閲覧。
- ^ “天皇杯全日本バレーボール選手権大会2回戦 対豊田合成トレフェルサ戦”. 中央大学 (2014年12月16日). 2015年3月22日閲覧。
- ^ “松永理生の帰任について”. 豊田合成トレフェルサ (2018年12月10日). 2019年11月9日閲覧。
- ^ “母校東山を日本一に 男子バレー元日本代表松永氏コーチ就任”. 京都新聞 (京都新聞社): p. 23. (2019年8月25日)。
- ^ 完膚なきまで~絶対王者の「1セットも与えずに勝つバレー」はどのようにして生まれたか. “「Citta」 運動・スポーツ応援プロジェクト 〜運動ができるようになる・スポーツがしたくなる情報検索サイト〜”. 「Citta」 運動・スポーツ応援プロジェクト 〜運動ができるようになる・スポーツがしたくなる情報検索サイト〜. 2024年4月5日閲覧。
- ^ “石川祐希、高橋藍の“恩師”がこの春から東山高の監督に就任した理由「日本が強くなるために必要なことが高校バレーにある」《教員免許も取得》”. Number Web/株式会社文藝春秋 (2022年3月31日). 2024年8月14日閲覧。
外部リンク
[編集]- 日本バレーボールリーグ機構の旧サイトにおけるプロフィール - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分)