由良貞通
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 寛保元年1月20日(1741年3月7日) |
死没 | 文化7年3月20日(1810年4月23日) |
改名 | 松平矩豊(初名)、由良貞通 |
別名 | 万吉、半三郎、新六郎(通称) |
官位 | 従五位下侍従、信濃守 |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
主君 | 徳川家治 |
氏族 | 結城松平家→由良氏 |
父母 |
松平明矩、田畑氏 由良貞整 |
兄弟 |
松平朝矩、松平矩道、貞通、常、綾姫、 盈子 |
妻 |
由良貞整娘 森川俊因娘 |
子 | 貞雄、織田信因ら5男5女 |
由良 貞通(ゆら さだみち)は、江戸時代中期から後期にかけての高家旗本。由良家8代当主。官位は従五位下・侍従、信濃守。
略歴
[編集]寛保元年(1741年)、結城松平家4代当主・松平明矩の三男として陸奥国白河において誕生。明和元年(1764年)9月1日、10代将軍・徳川家治に御目見する。
明和2年(1765年)3月19日、高家旗本由良貞整の婿養子になる。安永2年(1773年)8月12日、高家見習に召し出される。同年8月15日、従五位下・侍従・信濃守に叙任する。安永5年(1776年)6月27日、高家職に就く。
天明2年12月24日(1783年)、貞整の死去により家督を相続する。天明6年(1786年)7月9日、高家を辞職する。天明7年(1787年)3月17日、隠居し長男の貞雄に家督を譲る。
文化7年(1810年)3月20日、死去。享年70。
系譜
[編集]子女は5男5女