織田長宇
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 明和3年(1766年) |
死没 | 天保10年5月25日(1839年7月5日) |
別名 | 通称:徳三郎 |
墓所 | 奈良県の慶田寺 |
官位 | 従五位下・左衛門佐 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 大和芝村藩主 |
氏族 | 織田氏(長益系長政流) |
父母 | 父:織田長教 |
兄弟 | 長宇、長格、長據など7男3女 |
妻 | 正室:阿部正賀養女 |
子 | 長恭、萩原言偏、荻原徳拠、渡会喬久、織田信順正室など計7男6女 |
織田 長宇(おだ ながのき)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。大和国芝村藩9代藩主。通称は徳三郎。官位は従五位下・左衛門佐。長政流織田家9代。
生涯
[編集]8代藩主・織田長教の長男(次男とも)として芝村にて誕生。
寛政7年(1795年)2月15日、11代将軍・徳川家斉に御目見する。同年4月26日、長教の隠居により家督を相続する。同年12月17日、従五位下左衛門佐に叙任する。文化2年(1805年)、駿府加番を命じられる。文政9年(1826年)3月27日に隠居し、三男の長恭に家督を譲る。
天保10年(1839年)5月25日、芝村において死去、享年74。墓所は奈良県の慶田寺。蹴鞠の名手であったという。
系譜
[編集]子女は7男6女。なお、竹尾善筑は、その著書『即事考』に長宇の娘が家来と駆け落ちした事件を記している。