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范文敵 (チャンパ王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 范文敵
チャンパ王
在位 415年以降 - 420年

死去 420年
王朝 第2王朝
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范文敵(はん ぶんてき、ベトナム語: Phạm Văn Địch, 生年不詳 - 420年)は、チャンパ王国林邑国中国語版)第2王朝の第6代国王(在位:415年以降 - 420年)。

生涯

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先代のマノラタヴァルマンサンスクリット語版はそのおじのガンガーラージャから位を譲られて[1]即位したが、マノラタヴァルマンがガンガーラージャの譲位に反対した大臣の蔵麟(『南史』による。『梁書』では蔵とする)を殺すと、蔵麟の子がマノラタヴァルマンを殺して范敵鎧中国語版(ガンガーラージャの弟)の異父弟であった范文敵を国王に迎えた。417年7月22日に遣使して馴と白鸚鵡を献じている。『梁書』『南史』では范文敵は扶南王子の范当根純に殺されたとする。

出典

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  1. ^ Cœdès, p. 57

参考資料

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  • George Cœdès (May 1, 1968). The Indianized States of South-East Asia. University of Hawaii Press. ISBN 978-0824803681 
  • 晋書』巻十 帝紀第十 安帝
  • 梁書』巻五十四 列伝第四十八 林邑国
  • 南史』巻七十八 列伝第六十八 林邑国
  • 太平御覧』巻七百八十六 四夷部七 南蛮二 林邑国
  • 太平寰宇記』巻一百七十六 四夷五 南蛮一
  • 通志』巻一百九十八 四夷伝第五 南蛮下 林邑
  • 文献通考』巻三百三十一 四裔考八 林邑
先代
マノラタヴァルマン
チャンパ王
第2王朝第6代:
415年以降 - 420年
次代
范陽邁1世