野沢橋
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野沢橋 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 長野県佐久市市原 - 中込 |
交差物件 | 千曲川 |
用途 | 道路橋 |
路線名 | 長野県道144号本町中込停車場線 |
管理者 | 長野県 |
施工者 | 駒井鉄工・日本鋼管・松尾橋梁 |
竣工 | 2000年(平成12年) |
開通 | 2000年(平成12年)9月25日 |
座標 | 北緯36度13分35.3秒 東経138度28分32.2秒 / 北緯36.226472度 東経138.475611度 |
構造諸元 | |
形式 | 3径間連続箱桁橋 |
材料 | 鋼 |
全長 | 167.0 m |
幅 | 15.00 m |
最大支間長 | 55.2 m |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
野沢橋(のざわばし)は、長野県佐久市市原 - 中込の千曲川に架かる長野県道144号本町中込停車場線の橋長167 m(メートル)の桁橋。
概要
[編集]現橋
- 形式 - 鋼3径間連続箱桁橋
- 橋長 - 167.0 m
- 支間割 - 55.0 m + 55.2 m + 55.0 m
- 幅員 - 15.00 m
- 車道 - 10.00 m
- 歩道 - 両側2.50 m
- 床版 - 鉄筋コンクリート
- 施工 - 駒井鉄工・日本鋼管・松尾橋梁
- 架設工法 - トラッククレーンベント工法
旧橋
歴史
[編集]佐久甲州街道にあって千曲川を渡る橋として重要な地位を占めた。江戸時代には、1729年(享保14年)に水害のために流失したという記録が残されている[2]。
明治時代には、1870年(明治3年)7月に流失し、1871年(明治4年)9月に仮橋となった[6][7]。
1881年(明治14年)3月に橋長136 m、幅員2.5 mの木橋となった[8][9]。
1890年(明治23年)1月25日に橋長164 m、幅員5.5 mに本格的な木造方杖橋となったが、1898年(明治31年)に流失し、しばらく渡船に頼ることになった[8][10]。
1901年(明治34年)に橋長167 m、幅員3.9 mの木造方杖橋が架橋された。これは、木造ながら近代的構造を採用した下路ハウトラス橋であった。これは1910年(明治43年)に橋長163 mとなった[8][2][11]。
1927年(昭和2年)12月18日、鋼単純ポニートラス橋4連に架け替えられた。これは、当時の南佐久郡内で最初の永久橋である[3][5]。後年に歩道橋が併設された[5]。
この旧橋は1999年(平成11年)に撤去され[4]、2000年(平成12年)9月25日に新橋が同じ位置に開通した[3]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “橋梁年鑑 平成14年版” (PDF). pp. 204, 205. 2020年9月25日閲覧。
- ^ a b c 信濃の橋刊行会『信濃の橋百選』(初版)信濃毎日新聞社、2011年7月24日、70, 71頁。ISBN 978-4-7840-7166-1。
- ^ a b c “野沢橋”. 土木学会附属土木図書館. 歴史的鋼橋集覧. 土木学会. 2020年9月25日閲覧。
- ^ a b “長野県の歴史的橋梁の現況について” (PDF). 土木学会学術論文等公開. 土木史研究第20号. 土木学会. pp. 349-358 (2000年). doi:10.2208/journalhs1990.20.349. 2020年9月25日閲覧。
- ^ a b c “野沢橋1927-12-18”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年9月25日閲覧。
- ^ “野沢橋1871-9”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年9月25日閲覧。
- ^ “野沢橋1879”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年9月25日閲覧。
- ^ a b c 福井次郎「長野県統計書に見る明治・大正時代の長野県道路橋架設状況について」(PDF)『土木史研究 講演集』第25巻、土木学会、2005年、297 - 306頁、2020年9月25日閲覧。
- ^ “野沢橋1881-3”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年9月25日閲覧。
- ^ “野沢橋1890-1-25”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年9月25日閲覧。
- ^ “野沢橋1901-4”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年9月25日閲覧。
外部リンク
[編集]- 長野県佐久建設事務所
- 佐久建設事務所佐久北部事務所 - 橋梁管理者